~MTGについて~
・MTGを始めたばかりの頃に感じた高揚、記憶に刻み込まれたインクの匂いを少しでも感じられればと綴る記憶。
(初めから)
■MTGについて1
http://rattie.diarynote.jp/200903071815076811/
(前回)
■MTGについて7
http://rattie.diarynote.jp/200904220029434117/
半年も経たないうちに、部屋にあるカードは段ボール箱にぎっしりと詰まるような量になっていた。
辛うじて色分けされ、輪ゴムで束ねられているそれを、毎日飽くこと無く眺めた。
僕はデッキを良く思いついた。
カードを眺めていれば大抵デッキを組み始めていたし、授業中にコンセプトが閃けば、いてもたってもいられなくなった。
シナジーに気づいて大喜びし、シナジーに偏りすぎてバランスが崩れていることにも気づかず、似たような効果のカードをかき集め、どれを抜けば良いか悩み、足りないカードに頭を悩ませる。
山積みのカードの束から目当てのカードを探すのも、土地の枚数に悩むのも、スリーブに一枚一枚をしまう作業も
すべてが、全てがこの上ない楽しみだった。
軽減能力を備えたクリーチャーをひたすら詰め込んだプリベンターデッキ。
X点火力12枚入り大技デッキ。
踏み荒らし前提のウィニー。
火力しか入っていないフルバーン。
マナカーブなんて知らない。
クリーチャーとスペルの比率も考えない。
土地は経験則で20前後(このとき僕は、試合をする前に必ず呪文、呪文、土地と交互に並べてからシャッフルをしていた。それがイカサマかどうかなんて考えたこともない)。
強いかどうかなんて関係無かった。
世界一のデッキビルダーになったつもりで、毎日デッキを組んでは解体した。
デッキを作り上げた翌日は、学校が終わるのが待ち遠しくてならない。
授業合間の休み時間に何度もデッキを確認し、ホームルーム前には勝負の約束を取り付けた。
常時5つ以上のデッキを持ち歩き、一軍、二軍と使い分けていた。
汎用カードはほぼ一軍で使い果たされていて、二軍は専用デッキを組まなければ活躍しないような微妙カード中心のデッキだったように思う。
強いカードが欲しかった。
だが、一つのデッキを使い通すと言うことが出来ない性分の僕は、ショップに行ってはついつい、面白そうな100円レアばかりを手にしているのだった。
やがてウルザサイクルが発売される。
それは、パワーカード時代の幕開けだった。
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